【第49回大会】《委員会企画》レジュメ(報告要旨)

女性の生存と労働-地域の戦後史-

委員会

 女性を受動的な客体と見なす幻想は、現代社会において依然として根強い。また、女性の力を活用すると高言しながら、旧態然たる性別分業観を温存させ、矛盾を女性にしわよせする手口は、現政権を含め多数の先例がある。女性の生存と労働を、その実態に即して再検討すること。これは、隠蔽された社会構造の暗部を可視化するために、何度でも試みられなければならない課題である。

 東京歴史科学研究会では、2011年度の大会まで数度にわたり「新自由主義時代の歴史学」を基本テーマにすえ、労働や教育の問題、地域史研究や対抗運動の可能性などを論じてきた。2012年度以降は、東日本大震災と福島第一原発事件の経験もふまえ、「生存」の問題を主軸に企画をたてた。これらの大会で浮かび上がってきた論点は、競争原理や差別・排除の問題、あるいは代案としての共同性や救済される側の主体性、生存をめぐる主体間の葛藤など多岐におよぶ。これらの諸問題は今日、むろん後景に退いたわけではない。状況はむしろ悪化する傾向にさえある。

 以上のことを念頭に置きながら、今年度の大会では、「女性の生存と労働-地域の戦後史-」と題し、女性の多様な生存戦略を、地域の実態に即して多元的に明らかにしたいと考える。女性に焦点をあてた理由は、ともすれば受動的な客体とみなされ、そうした幻想がこれまでに、多数の有害な神話を流通させてきたからであり、性に関する様々なステレオタイプを再生産してきたからである。今回取り上げる「売春婦」や「パンパン」はその最たる例であるし、高度成長期の女性の就労や生活についても、その内実は一様ではない。それらを、国家や世界情勢との関係だけではなく、個々の生活領域に近接した次元でとらえなおすこと。今大会で「地域」と称する所以である。そうすることで、人間関係の諸相をリアルに浮き彫りにすると同時に、ジェンダーの視点を鍛え、性に対する多様な認識を得るきっかけとしたい。

 そこで、まず高柳友彦氏には「温泉観光地の戦後―高度成長期熱海温泉における女性労働力の歴史的変容―」と題して、戦後から高度成長期にいたる女性労働の諸構造を、熱海という地域に即して論じてもらう。戦前から開発が進む熱海には、温泉地特有の経済構造を背景にして、さまざまな女性が移り住んだ。そうした女性たちの内実を、経済史の観点から可能なかぎり省察していただく。

 次に、平井和子氏には「敗戦・占領を生き延びる地域と女性たちのエイジェンシー」と題し、熱海におけるRAAや占領軍「慰安所」の実態と、「パンパン」たちの姿、彼女たちを引きつけた熱海という地域を、同時代の御殿場との比較を通して、敗戦から売春防止法の施行(1958年)までの時期を中心に論じてもらう。米軍占領という構造的暴力の下で、性労働に携わる女性たちが自らの生存戦略を駆使するあり様と、「働く女の街」熱海の地域性が多角的に浮き彫りにされよう。

 これらの議論を通して、今日、安易な神話や一般論に堕することなく、具体的な個々の実像を地域の戦後史に位置づける適切な視座が得られれば幸いである。

 


 

温泉観光地の戦後―高度成長期熱海温泉における女性労働力の歴史的変容―

                        高柳友彦

本報告の課題は、高度成長期に日本最大の温泉観光地として発展を遂げた静岡県熱海温泉(行政区分では熱海市)を対象として、女性労働力のありようが地域経済の発展・変容過程とどのような関わりを有していたのか、観光地間競争や労働市場の展開など周辺地域との関係に留意しながら、戦後の温泉観光地における女性労働力の動向を明らかにすることである。

明治期に年間四百万人程度であった全国の温泉地利用客数は、高度成長期に一億人を突破した。企業の社員旅行や招待旅行など団体旅行の普及によって、それまで湯治療養の場であった温泉地は大量の団体客を受け入れる遊興、行楽の場へと変化したのであった。大量の利用客を抱えた温泉地では、旅館数の増加や施設の大規模化が進展する一方、温泉資源や人的資源の管理が課題となった。温泉資源については、源泉湧出量の増加が求められたため、多くの温泉地で源泉の集中管理事業が採用され、持続的かつ効率的な源泉利用・管理が実現した。一方、利用客へのサービスを提供する女性労働力の確保が人的資源の課題として残された。旅館の仲居や女中、商店員、バスガイドなど、観光産業の様々な業種に従事する労働力の多くは女性労働力に依存していたからであった。温泉地は、そうした観光産業に従事する様々な女性たちが集住し、それぞれの生活が複雑に交錯する場でもあった。女性労働力に依存する温泉地の経済・社会構造は、彼女らのライフコースの動向に大きな影響を受けていたのである。 

本報告が対象とする静岡県熱海温泉は、高度成長期に日本最大の温泉観光地に成長した伊豆を代表する温泉地である。熱海で必要な労働力は、伊豆半島の他地域(賀茂郡・田方郡)や神奈川県から、主に十代の若年女性の大量流入によって支えられた。ただ、近隣の沼津・三島地域での第二次産業(繊維・機械など)の労働力需要の高まりから労働市場は逼迫した。利用客数の増加によって発展を遂げた熱海であったが、一九五〇年代後半には女性労働力の調達が困難な状況を迎えていたのである。不足する労働力を補うため、旅館組合による集団就職の斡旋も行われ、北海道、青森などから毎年百~二百人程度の季節従業員を受け入れ対応した。また、伊豆急行が開通した一九六〇年代以降、東伊豆(熱川・稲取など)、南伊豆の観光地開発が進められ観光地間の競争が激化した結果、熱海は利用客数の減少に陥った。熱海の観光地としての競争力低下は、若年女性労働力の吸引にも大きな影響を与え、増加していた人口は減少に転じた。一方、不足する労働力はパートや中高年女性など様々な女性労働力を多用していくこととなった。報告では熱海における女性労働力の動向とともに、有配偶率や移動の状況など女性のライフコースに関わる特徴についても考察していく。

 



敗戦・占領を生き延びる地域と女性のエイジェンシー

平井和子

 戦後七〇周年を迎え、日本軍「慰安婦」問題をめぐる議論は、歴史研究のレベルでも、国民間の歴史認識をめぐる対立においても、国際関係においても混迷を極めている。元「慰安婦」の名乗り出から二四年、この間、置き去りにされてきた日本人「慰安婦」の存在は、慰安婦=売春婦/性奴隷という対立の構図が先鋭化するなかで、今こそ直視すべき人々として重要さを増している。そして、日本人「慰安婦」は占領軍「慰安婦」に連続する。

日本軍「慰安所」は発想と手法において、敗戦後、日本政府が設置した占領軍「慰安所」に連続し、RAA(Recreation Amusement  Association )などに集められた「慰安婦」たちは、相手こそ違え、兵士への性的「奉仕」を強いられたという点で、日本軍「慰安婦」たちと繋がるものである。ルポルタージュや小説などは戦後早い時期に量産されながらも、RAAや占領軍「慰安所」は、歴史研究としては取り組みが遅れている。本報告では、拙著『日本占領とジェンダー 米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎、二〇一四年)、および拙稿「RAAと『赤線』―熱海における展開」恵泉女学園大学平和文化研究所編『占領と性 政策・実態・表象』(インパクト出版会、二〇〇七年)をもとに、RAAや占領軍「慰安所」の実態と「パンパン」と呼ばれた女性たちのあり様を、熱海という地域に焦点をあてて考察する。できる限り、性労働の場で働く女性たちの置かれていた厳しい状況を踏まえつつ、彼女らの能動性にも価値を見出したい。それはまた一方で、敗戦と占領という「未曽有の危機」を敗戦国政府と地方が、どのように「平和的に」やり過ごそうとしたのかの検証でもある。報告は以下の二点に重点を置くつもりである。

 

一、RAAと占領軍「慰安所」の熱海における展開

 熱海の中心街を流れる糸川付近は、丹那トンネル開通後(一九三四年)、料理屋、待合、置屋、カフェー、遊技場が密集し私娼街を形成した。敗戦後、一九四五年一〇月から四六年三月にかけて、熱海市内に三か所、隣接する箱根に一か所RAA施設(旅館二、ダンスホール一、性的慰安所一)が開設した。また、地元業者も占領軍兵士向けの性的「慰安」を開始した。RAA旅館で働いた元職員と、米兵を最初に受け入れた業者の証言をもとに、熱海における占領軍「慰安所」の特徴を明らかにする。

二、米軍が「休養」に訪れる温泉歓楽街・熱海=「働く女がささえる街」

 一九五〇年四月の「熱海大火」以後、六月の朝鮮戦争開始がきっかけとなって、「パンパン屋」が増加し、「糸川べり」は赤線化していく。御殿場や神奈川県の米軍基地から休日を過ごす米兵の受け入れ先となったのである。同時期、基地周辺に集娼地区が形成された御殿場における住民の「パンパン」への視線と比較しつつ、熱海における地元住民の性産業従事者への親密なまなざしを紹介する。それは、戦前から熱海が「働く女がささえる街」であったことと関連していると考えられる。