【第50回大会】《委員会企画》レジュメ(報告要旨)

転換の時代を生きる人びと―「土豪」・「名望家」たちの果たした役割から

委員会

 東京歴史科学研究会では、四一回大会(二〇〇七年度)以来、基本テーマを「新自由主義時代の歴史学」として、労働や貧困、教育の問題を論じてきた。さらに東日本大震災が発生した翌年の四六回大会(二〇一二年度)以降は、人びとの「生存」を軸に企画を構想している。

 四七回大会(二〇一三年度)には、「『生存の危機』と人びとの主体性」とのテーマのもと、「生存の危機」に直面した人びとの主体性を歴史的に検討した。四八回大会(二〇一四年度)は、自然が作り出す「生存の危機」への人間社会の向き合い方を問うべく、多様な立場の人々の生活の基盤である「地域」に着目し、地域において人々がいかに生存を確保しようとしたのか、そのプロセスの解明を目ざした。四九回大会(二〇一五年度)は、客体とみなされてきた女性たちが、地域においてどのように生きようとしたのか、個々の生活領域に近接した次元でとらえ直すことを試みた。

 「生存」を取り上げた過去の大会で常に議論の俎上に乗せられたのが、人びとの「生存」を支えるセーフティネットとしての「共同体」であった。五〇回大会では、セーフティネットとしての「共同体」を主導し、地域に大きな影響を及ぼした存在である「土豪」・「名望家」に着目する。さらに、人びとの「生存」を脅かす諸問題を国家・社会の問題として総体的にとらえ直し、歴史的文脈の中で論じるべく、大きな転換があった二つの時期、中近世移行期と近世近代移行期を取り上げる。

 人びとの生命を守った家や村、地域における「共同体」の機能が徐々に変化し、あるいは失われ、その役割が国家へと回収されていく中で、「土豪」・「名望家」はどのように問題と対峙したのか。国家・社会の転換期における地域社会の軋轢・葛藤、新たな権力との関係の解明を通じて、「土豪」・「名望家」の主体性や地域の人びとの「生存」に果たした役割の変化について議論したいと考える。

 以上の問題意識から、長谷川裕子氏と三村昌司氏に報告を依頼した。長谷川報告は、戦争から「平和」へと社会の状況が変化する中で、土豪に求められた機能の具体像と変遷を分析し、人びとの「生存」を支えた村および地域社会の構造を解明する。三村報告は、近代に入り勃興した「名望家」を社会の中に位置づける作業を通して、近代社会と人びとの緊張関係、そして国家・「名望家」・地域住民の三者をアクターとした近代社会の構造的特質を論じる。

 これらの議論を通して、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)や安全保障体制など、国家・社会を取り巻く状況が大きく転換する現代に我々がどう生きていくべきかを考えていきたい。当日の活発な議論を期待する。

 


 

中近世移行期における土豪の機能とその変化―軍事・外交機能の消失と村役負担の観点から―

                        長谷川 裕子

本報告は、戦乱の世から「平和」な世への転換期である中近世移行期社会の移行過程を、人びとの「生存」という視角から見通すことを目的としている。戦争が頻発する戦国期から、慢性的飢饉状況の克服を目指した江戸時代前期社会において、人びとの「生存」を支えていた村および地域社会の構造を解明するためには、困窮する者への保護や救済を期待されていた土豪の位置づけが不可欠である。報告者は土豪について、すでに経済的動向を「融通」という観点から、また軍事的動向を「参戦の構造」という観点から追究してきた(『中近世移行期における村の生存と土豪』校倉書房、二〇〇九年・『戦国期の地域権力と惣国一揆』岩田書院、二〇一六年)。本報告は、これらの研究の一環として、戦争から「平和」へという社会構造の変化のなかで、土豪に求められた機能の具体像とその変遷について提示しようとする試みである。

そこで、まず第一に、戦争展開期における土豪の動向を、土豪の戦争参加および村に対する軍役負担の側面から検討したい。慢性的飢饉状況下において、非常時の生命維持装置の一翼を担っていた土豪は、人びとの「生存」維持の場面で自身の資本を拠出する一方で、戦乱からの保護を任された存在でもあった。そして戦国期には、権力に被官化した者と被官化していない者が、土豪という社会的身分として地域社会に混在し、かつ両者ともが戦時における武力担当者として広く認知されていた。その意味で、兵と農は分離していたといえるが、その前提の上で、本報告では戦国・織豊期における土豪の軍事動員の具体像と、少なくとも大坂の陣までは機能していたと捉えられる村の武力担当者という自己認識の変質過程について、権力側の政策および村における土豪の機能変化をふまえて、改めて追究していきたい。

そして第二には、国内外の戦場凍結後における土豪の動向を、村社会内部における役負担の違いと村内での軋轢という側面から検討したい。村の武力担当者であった土豪は、軍役を務める代わりに村役などの免除特権が村のなかで認められていた。しかし、これらの特権は参戦が必要なくなる世の展開にしたがい、徐々に村内で問題化されるようになる。江戸時代初頭から前期にかけての村内での対立は、従来より村方騒動論として議論されているが、村内での役負担の違いと、それに基づいた社会的身分をめぐる諸問題については、これまで原田敏丸氏や深谷幸治氏によって検討されつつも、いまだ中近世移行期研究のなかで位置づけられているとは言い難い。本報告では、江戸時代に展開する郷士制度や奉公人役の問題をも見据えて、土豪の身分的特権および村内における役負担構造の実態や変遷について具体的に追究していきたい。

以上の二点の検討を通じて、中近世移行期社会を論じる上で克服すべき議論としていまだ健在である太閤検地・兵農分離論、およびそれに基づく中近世の断絶という議論についても、報告者なりに考えていきたい。

 



近代日本社会における「名望家」の歴史的位置―兵庫県美嚢郡三木町玉置家を事例に―

三村 昌司

 本報告は、「名望家」を題材として、近代日本社会について考察するものである。

 近年の「名望家」研究は、近世近代移行期を中心として成果が多く出されている。なかでも、近世の豪農層が、幕末維新期から明治期にかけての社会変動をくぐり抜けるなかで、どのように地域社会において対応したか、という視角での成果が豊富である。

 このような視角に依拠した研究は、近世近代移行期における変動のさなか、「名望家」層及び地域社会がいかに対応・変質したかを明らかにしており、移行期の社会を考えるうえで重要な意味をもつ。

 しかし、「移行期の社会変動に人々がいかに対応したか」という問題意識だけでは、近代日本がいかなる構造を持っていたか、さらに人々がその構造といかに緊張関係を持ちながら生きていたかという視角に欠ける。

 そこでこの問題を考える補助線としたいのが「名望家」である。戦後歴史学において、「名望家」は、近代天皇制国家における支配の「導管」「媒介」としての役割を見出されてきた。かような見方は、支配(国家)―被支配(国民)の二元論的権力理解に依拠し、「名望家」を国家による国民統合を行う側と位置づけていた。むろん現在の研究水準では、二元論的権力理解はなされない。しかし、かような「名望家」研究には、権力論とは別に現在においても汲むべき点が残されているように思う。すなわち、「名望家」がいかに近代日本の社会構造に位置づけられていたか、という前述の視点である。

 とはいえ、手掛かりとなる議論はすでにいくつか提示されている。たとえば「地域利益」論である。かつては、権力が「地方利益」によって自由民権運動を統合するという捉え方であった。しかし近年では、地域社会秩序の安定化に寄与した可能性が指摘されている。

 また、近代日本社会と国民国家論の関係を問う議論も深められている。そのような議論を参考にすれば、国家・「名望家」・地域住民の三者をアクターとした近代社会理解を提示できるのではないか。

 以上のような問題意識から、本報告では、兵庫県美嚢郡三木町(現三木市)の玉置家を対象として、近代日本社会における「名望家」の歴史的位置を考えなおしてみたい。玉置家は、近世以来の「名望家」ではなく、近代に入り三木で勃興した家である。しかも、明治二〇年前後に代替わりをしている。それゆえに、より色濃く近代社会の特徴が反映された「名望家」たりえているのではないかと仮定し分析する。玉置家のような〈近代に急成長した名望家〉を取り上げることによって、近世近代移行期を対象に深められた「名望家」像の逆照射を試みる。そのうえで、日本の近代社会と人々の緊張関係を描き出したい。